多様な視座から Vol3
uhh09396
9月30日
読了時間: 2分
「怒る」と「叱る」の境界線 (その①)
秋桜が咲き始めるころ、ふと心に浮かぶ光景がある。
体育館の片隅、静かに選手を見つめるあの先輩教師の姿だ。
多くを語らない人だった。
だが、そのまなざしには、信念と温度があった。
怒鳴り声を上げるわけでもなく、ただ静かに、凛と立つ。
それだけで、選手たちは自ら背筋を正した。
……ああ、これが「指導」なのだと思わされた。
いま、スポーツ現場に求められるものは変わりつつある。
「怒鳴られた」と涙する選手、「やりすぎでは」と首をかしげる保護者。
昭和の風を吸って育った私たちには、戸惑いもあるだろう。
けれども、見直すべきは私たち自身の「伝え方」だ。
怒る……それは感情の放出である。
他方、叱る……それは、相手の成長を願って行う、伝えるという営みだ。
ミスをした選手に、思わず声を荒らげてしまったことがある。
だが、その直後、私は自問する。「今の言葉は、その子のためだったか」と。
怒りに動かされて発した言葉は、信頼の橋を壊す。
叱る言葉には、愛がなければ届かない。
指導とは、技術だけでなく心を育てる行為だからこそ、
感情ではなく、信頼が選手を動かす。
時代は、熱血という名の怒声を求めていない。
今、必要とされているのは、静かで揺るがぬ情熱だ。
秋の夕暮れ、秋桜を見つめながら思う。
あの先輩のように、信頼を礎にした指導者でありたい……と。





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